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喜川の歴史
明治40年頃の柳橋
喜川は明治27年東京市浅草区茅町(現在の台東区柳橋)に、
四代前の喜七が自分の名前の一字をとり開業いたしました。
喜七は下総国香取の川魚問屋を営む家の二男で、上京して当時日本橋にありました魚河岸の川魚問屋で修行した後、店をかまえました。
柳橋という土地は、神田川が隅田川に合流するところにかけられた
橋の名をとった、江戸で一番の花柳界として栄えたところでした。
その後明治、大正、昭和にかけ、料亭、待合、船宿が数多く、
一流の芸と気位を持つ芸者もおり、両国の川開きという花火もあり、
それはそれは華やかでした。
喜川もその一角で鰻やとしての店をさせていただいておりました。
喜川の江戸前の鰻は、中串で蒸しをきかせ、さっぱりとした
タレが自慢です。創業以来、特選醤油と本味醂の煮切りでタレを作り、
長い間数えきれないほど,つけては焼くを繰り返し、蒲焼きからにじみ
出るこくが喜川の独自のタレの味を作りだしています。
戦時中も店は全焼しましたが、タレは疎開させて守りぬきました。
戦前の喜川の様子
柳橋は戦後復活し、昭和全盛期もありましたが、東京オリンピックの頃
川の護岸工事、高速道路建設などで隅田川あっての街は変貌を
余議なくされ、粋な雰囲気も消え去りました。
喜川も場所を日本橋へと移しましたが、
当時の江戸の心意気は失わずにいます。
